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六代目蔵元 佐藤淳平 私の履歴書

楯野川ブランド立上げ その3(楯野川新聞 2013年3月12日号より)

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先月に引続き「 楯野川」ブランド立ち上げ時の状況をもう少し詳しくお伝えします。

「楯野川」ブランド1年目の造りは、確か小さいタンク・大きいタンク合わせて16本ほどで、数量としては250石ほどの仕込みだったと思います。当時の山形県内の蔵元の中でも、一番少ない生産量だったのではないでしょうか?

全量特定名称酒を造っていても、販売先が地元の問屋さんしかなく、純米や純米吟醸などはあまり売れない厳しい状況にありました。細々と本醸造を地元で売っていたのですが、地元庄内は、普通酒がメインの市場で1800mlのお酒が2本しばりで3000円を切るような値段で売られており、普通酒がない弊社としては、地元市場にも、食い込んでいけないのが現状でした。

さて、では一体どうしたらいいのか?

やはり、地元はほとんどが普通酒の市場なので、特定名称酒の純米や純米吟醸を理解して頂け、値段は普通酒に比べると高いけれども、高くても良いお酒を飲みたいというお客様が多い都会に討って出よう、勝負してみよう、という気持ちに至りました。また、山形 県には蒼々たる蔵元さんがたくさんあり、東京市場ですでに成功している蔵元さんへの憧れもありました。

何とか都会の中で「楯野川」を覚えて頂き、そこから地元の人達にも認知されるようなブランドになっていきたいと考え、県外への出荷を行うことにいたしました。問屋さんの流通から、酒販店様との直接取引の流通にしたのも、これからは、問屋さんへ「お酒を売ってください」とお願いする時代ではなく、蔵元自らが営業を行わなければ生き残っていけないのではないかと感じていたため、徐々に直接取引の流通にシフトしていきました。お酒の製造とともに、流通にも頭を悩ませながら新しい「楯野川」ブランドを立ち上げて行った記憶があります。

六代目蔵元 佐藤淳平